🗺️歴史をたどりながら、世界遺産を知る2026年度版
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青の都、三つの帝国の都、そして海の都

東西が出会う交易都市の栄光

14世紀〜18世紀

第11話では、東の世界と西の世界が出会う『結節点』となり、交易によって栄えた3つの都市を見ていく。まずウズベキスタンのサマルカンド。シルクロードの要衝にあるオアシス都市で、14世紀にはティムール朝の都として、青いタイルに彩られた壮麗な建築が築かれた。次にトルコのイスタンブール歴史地区。ヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡に面し、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国という3つの帝国の都となった街だ。そしてイタリアのヴェネツィア。潟の上に築かれ、東方との海上交易で富を築いて、1000年以上も共和国として栄えた海の都である。 第9話のペトラやアンコールが交易で栄えた都だったように、この3つの都市もまた、モノと人と文化が行き交う道の上に生まれた。第4話で見た十字軍の時代には、ヴェネツィアとコンスタンティノープルの間にも、複雑な関係があった。陸のシルクロード、海と陸の境にある海峡、そして海の交易路。それぞれの場所から、東西世界のつながりが見えてくる。

このチャプターで押さえる世界史の軸

  • サマルカンド―シルクロードの要衝で、ティムール朝の都として栄えた青の都
  • イスタンブール歴史地区―ローマ・ビザンツ・オスマンという3つの帝国の都
  • ヴェネツィアとその潟―東方との海上交易で栄えた、潟の上の共和国

🎧 第11話:青の都、三つの帝国の都、そして海の都

想定12分

サマルカンド―文化交差路(ウズベキスタン)の写真

写真:Samarkand registan — Azizaziyo(CC0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
2001年登録

サマルカンド―文化交差路

ウズベキスタン

中央アジアのウズベキスタンにある古いオアシス都市。東西を結ぶシルクロードの要衝として、古くから商人や旅人が行き交い、さまざまな文化が交わってきた。13世紀初めにはモンゴル軍の攻撃で大きな被害を受けたが、14世紀後半、英雄ティムールがこの地を都とするティムール朝を築き、各地から職人や学者を集めて、再び壮麗な都として整えた。 町の中心にあるレギスタン広場には、15世紀から17世紀にかけて建てられた3つのマドラサ(イスラームの学院)が向かい合って立ち、青いタイルと幾何学模様の装飾で知られる。ほかにも、ティムールの霊廟グーリ・アミール廟などがあり、サマルカンドは『青の都』とも呼ばれる。ティムールの孫ウルグ・ベクは天文学者でもあり、この地に天文台を築いたことでも知られる。ペルシャ、中央アジア、イスラーム、そして東方の中国の文化が混ざり合った景観は、まさに『文化交差路』の名にふさわしい。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は2001年、所在地はウズベキスタン、シルクロードのオアシス都市
  • 14世紀後半、ティムールがティムール朝の都とした『青の都』
  • レギスタン広場の3つのマドラサ、ティムールの霊廟グーリ・アミール廟

雑学メモ

  • サマルカンドはシルクロードの要衝で、14世紀後半にティムールがティムール朝の都とした。
  • レギスタン広場には、15〜17世紀に建てられた3つのマドラサ(イスラームの学院)が向かい合って立つ。
  • ティムールの孫ウルグ・ベクは天文学者でもあり、サマルカンドに天文台を築いた。
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イスタンブール歴史地区(トルコ)の写真

写真:Hagia Sophia Mars 2013 — Arild Vågen(CC BY-SA 3.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
1985年登録

イスタンブール歴史地区

トルコ

トルコ最大の都市イスタンブールは、ヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡に面している。この街は、330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が新たな都として整えて以来、コンスタンティノープルの名でローマ帝国、そしてビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となり、1453年にはオスマン帝国のメフメト2世に征服されて、以後オスマン帝国の都として栄えた。3つの帝国の都となったこの街には、それぞれの時代を代表する建築が、今も残っている。 代表的な建築が、アヤソフィアだ。6世紀、ビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世の時代に完成した巨大なドームをもつ大聖堂で、オスマン帝国の征服後はモスクに転用され、その後、博物館として公開された時期を経て、2020年から再びモスクとして使われている。また、17世紀初めに建てられたスルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)は、6本のミナレット(尖塔)と青を基調にした内部装飾で知られ、オスマン帝国のスルタンが暮らしたトプカプ宮殿とともに、歴史地区の見どころとなっている。キリスト教とイスラームという2つの宗教の建築が、1つの街に重なっているのだ。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は1985年、所在地はトルコ、ボスポラス海峡に面する3つの帝国の都
  • 旧名コンスタンティノープル、1453年にオスマン帝国のメフメト2世が征服
  • アヤソフィア(6世紀・ビザンツ様式の大聖堂)、ブルーモスク、トプカプ宮殿

雑学メモ

  • イスタンブールは、ローマ帝国・ビザンツ帝国・オスマン帝国と、3つの帝国の都だった。1453年にオスマン帝国に征服されるまでは、コンスタンティノープルと呼ばれた。
  • アヤソフィアは6世紀にユスティニアヌス1世のもとで完成した大聖堂で、のちにモスクとなり、2020年から再びモスクとして使われている。
  • ブルーモスクは17世紀初めに建てられ、6本のミナレットをもつことで知られる。
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ヴェネツィアとその潟(イタリア)の写真

写真:Grand-Canal-Venice-May-2009 — Acediscovery(CC BY 4.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
1987年登録

ヴェネツィアとその潟

イタリア

イタリア北東部、アドリア海の入り江にできた浅い潟の上に築かれた水の都。もとは外敵から逃れた人々が、潟の小さな島々に5世紀ごろに移り住んだことに始まるとされ、木の杭を泥の地盤に打ち込んで、その上に建物を築いた。街には運河がはりめぐらされ、船が道の役割を果たしている。ヴェネツィアは、東方との海上交易で富を築き、10世紀ごろには海洋国家として台頭した。ヴェネツィア共和国は、伝承では697年から1797年にナポレオンに征服されるまで、1000年以上にわたり独立を保って栄えた。 街の中心にあるサン・マルコ広場には、ビザンツ様式の影響を受けたサン・マルコ大聖堂や、共和国の元首ドージェの居城だったドゥカーレ宮殿が並ぶ。東方との交易で栄えたヴェネツィアは、ビザンツ帝国の文化にも強い影響を受けた。第4回十字軍にはヴェネツィアが深くかかわり、1204年にはコンスタンティノープルが攻め落とされた。また、13世紀には、ヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロが、シルクロードを通ってアジアを旅している。近年は、高潮(アックア・アルタ)や観光客の集中による影響が課題となっており、水の都をどう守るかが問われている。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は1987年、所在地はイタリア北東部、潟の上に築かれた水の都
  • 東方との海上交易で栄えたヴェネツィア共和国(伝承では697年〜1797年)
  • サン・マルコ大聖堂、ドゥカーレ宮殿、高潮(アックア・アルタ)が課題

雑学メモ

  • ヴェネツィアは、潟の小島に木の杭を打ち込んで築かれた水の都で、伝承では697年から1797年まで、共和国として独立を保った。
  • サン・マルコ大聖堂はビザンツ様式の影響を受けた建築で、ドゥカーレ宮殿は共和国の元首(ドージェ)の居城だった。
  • 13世紀のヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロは、シルクロードを通ってアジアを旅したことで知られる。
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