🗺️歴史をたどりながら、世界遺産を知る2026年度版
← チャプター一覧

奴隷貿易の島、自由の女神、そして強制収容所

自由と人権をめぐる、光と影の記憶

15世紀〜20世紀

第10話では、人間の自由と尊厳をめぐる歴史を、3つの遺産からたどっていく。まずセネガルのゴレ島。15世紀から19世紀にかけて、大西洋をまたぐ奴隷貿易の拠点のひとつとされた小さな島だ。次にアメリカの自由の女神像。1886年、アメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られた、自由と民主主義の象徴である。そしてポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが建設した、強制絶滅収容所の跡だ。 この3つは、人間の自由がどのように奪われ、そしてどのように掲げられてきたかを、時代を追って示している。ゴレ島とアウシュヴィッツは、人類が犯した過ちを記憶にとどめるための『負の遺産』と呼ばれる。日本編で見た原爆ドームも、同じ『負の遺産』のひとつだ。世界遺産は、美しいものや偉大なものだけでなく、忘れてはならない歴史を次の世代へ伝えるためにも守られている。

このチャプターで押さえる世界史の軸

  • ゴレ島―大西洋奴隷貿易の拠点のひとつとされる島と、『奴隷の家』
  • 自由の女神像―アメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られた、自由の象徴
  • アウシュヴィッツ・ビルケナウ―ナチス・ドイツの強制絶滅収容所と、『負の遺産』

🎧 第10話:奴隷貿易の島、自由の女神、そして強制収容所

想定12分

ゴレ島(セネガル)の写真

写真:Île de Gorée vue de la chaloupe 15 — Fawaz.tairou(CC BY-SA 4.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
1978年登録

ゴレ島

セネガル

西アフリカ、セネガルの首都ダカールの沖合に浮かぶ小さな島。15世紀にポルトガル人が到達して以降、オランダ、イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国が次々に支配し、大西洋奴隷貿易の拠点のひとつとして利用された。奴隷として連行された人々は、この島などから船で大西洋の向こう側、南北アメリカへと送り出されたとされる。ゴレ島は、1978年に第1回の世界遺産登録が行われた際の12件のひとつで、ガラパゴス諸島やイエローストーン国立公園などとともに登録された。 島の象徴的な建物が、『奴隷の家(メゾン・デ・エスクラーヴ)』だ。奴隷貿易の関係者が暮らし、奴隷とされた人々を収容する場所として使われたと伝えられる。建物の海側には、船へと通じる『帰らざる扉』と呼ばれる出入口があり、この扉をくぐった人々が二度と故郷に戻れなかったことを象徴している。ただし、ゴレ島から実際に送り出された人数の規模については、研究者の間でも議論がある。それでも、島は人間の尊厳が踏みにじられた歴史を記憶にとどめる場所として、世界遺産に登録され、『負の遺産』のひとつとされている。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は1978年(第1回登録の12件のひとつ)、所在地はセネガル・ダカール沖
  • 15〜19世紀、大西洋奴隷貿易の拠点のひとつとされた島
  • 『奴隷の家』と『帰らざる扉』、人類の過ちを記憶する『負の遺産』

雑学メモ

  • ゴレ島は、1978年の第1回世界遺産登録で選ばれた12件のひとつ。ガラパゴス諸島やイエローストーン国立公園と同じ年に登録された。
  • 『奴隷の家』の海側にある『帰らざる扉』は、奴隷とされた人々が故郷に戻れなかったことを象徴する。
  • 島から送り出された人数の規模には研究者の間でも議論があるが、奴隷貿易の歴史を伝える場所として、負の遺産に位置づけられている。
🌍 Google Earthで場所を見る
自由の女神像(アメリカ合衆国)の写真

写真:Statue of Liberty, NY — William Warby(CC BY 2.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
1984年登録

自由の女神像

アメリカ合衆国

アメリカ東海岸、ニューヨーク港のリバティ島に立つ巨大な女神像。アメリカ独立100周年を記念して、アメリカ独立を支援したフランスの人々から贈られ、1886年に完成した。設計した彫刻家はフレデリク・オーギュスト・バルトルディで、像を内側から支える鉄骨構造の設計には、のちにパリのエッフェル塔を手がけたギュスターヴ・エッフェルが関わった。像の外側は薄い銅板でできており、緑色をしているのは、銅が長い年月をかけて酸化したためだ。 女神は右手に松明を高く掲げ、左手には独立宣言の日付(1776年7月4日)が刻まれた銘板を抱えている。足もとには、壊れた鎖と足かせが置かれており、圧政や隷属からの解放を象徴しているとされる。台座を含めた高さは約93メートルにおよぶ。ニューヨーク港は、19世紀末から20世紀にかけて、ヨーロッパから海を渡ってくる多くの移民が最初に目にする景色でもあった。ゴレ島が奴隷貿易という『自由の剥奪』の記憶を伝えているのに対し、自由の女神像は、自由と民主主義という理想を掲げる象徴として、世界中の人々に知られている。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は1984年、所在地はアメリカ・ニューヨーク港のリバティ島
  • アメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られ、1886年に完成
  • 設計はバルトルディ、内部構造にエッフェルが関与、足もとの壊れた鎖は解放の象徴

雑学メモ

  • 像はアメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られ、1886年に完成した。設計はバルトルディ、内部の鉄骨構造にはエッフェルが関わった。
  • 外側は銅板でできており、緑色は銅が酸化した色である。左手の銘板には独立宣言の日付が刻まれている。
  • 足もとには壊れた鎖と足かせがあり、圧政や隷属からの解放を象徴しているとされる。
🌍 Google Earthで場所を見る
アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)(ポーランド)の写真

写真:Auschwitz II Birkenau - gate, tracks — Ingo Mehling(CC BY-SA 4.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
1979年登録

アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)

ポーランド

ポーランド南部、古都クラクフの西に位置する、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが建設した強制収容所の跡。ナチス・ドイツがポーランドを占領した後の1940年に、最初の収容所(第一収容所)が造られ、のちに近くのビルケナウに、はるかに大規模な第二収容所が増設された。ここでは、ユダヤ人をはじめ、ポーランド人、ロマ(ジプシー)、ソ連軍の捕虜など、さまざまな人々が収容され、多くの人々が命を奪われた。犠牲者は100万人以上にのぼり、その大半はユダヤ人だったとされる。 収容所は1945年1月、ソ連軍によって解放された。戦後、跡地は犠牲者を追悼し、この歴史を伝える博物館として保存されている。1979年に世界遺産に登録されたこの場所は、人類が二度と繰り返してはならない過ちの記憶を伝える『負の遺産』の代表例とされる。日本の原爆ドームや、ゴレ島とともに、平和と人権の大切さを次の世代に伝える役割を担っている。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は1979年、所在地はポーランド南部、ナチス・ドイツが1940年に建設した強制絶滅収容所
  • 犠牲者は100万人以上、大半はユダヤ人、1945年1月にソ連軍が解放
  • 人類の過ちを記憶する『負の遺産』の代表例、原爆ドームとともに平和の大切さを伝える

雑学メモ

  • 第一収容所は1940年に設けられ、のちに近くのビルケナウに、はるかに大規模な第二収容所が増設された。
  • 犠牲者は100万人以上とされ、その大半はユダヤ人だった。収容所は1945年1月にソ連軍によって解放された。
  • 戦後、跡地は追悼と歴史教育のための博物館として保存され、1979年に世界遺産に登録された。日本の原爆ドームと並ぶ、負の遺産の代表例。
🌍 Google Earthで場所を見る
このチャプターのクイズに挑戦する →