
写真:The Treasury, Petra, Jordan1 — Diego Delso(CC BY-SA 3.0) via Wikimedia Commons
ペトラ
ヨルダン
ヨルダン南部の砂漠にある、ナバテア人の都の遺跡。ナバテア人は、紀元前後の時代に、アラビア半島の乳香や香料、シルクロードの品々を運ぶキャラバン交易の中継地として栄えたアラブ系の民族だ。彼らは、バラ色の砂岩の断崖に、神殿や墓、住居を直接掘り込んで都を築いた。ペトラという名前は、ギリシャ語で「岩」を意味する。 遺跡の象徴が、入口の細い渓谷(シク)を抜けた先に突然現れる「エル・ハズネ(宝物殿)」だ。高さ約40メートルの壮麗な正面は、岩壁を彫り出してつくられており、実際には王の墓だったと考えられている。「宝物殿」という名前は、盗賊が財宝を隠したと信じた後世の人々がつけたものだ。ペトラのもうひとつの特徴は、乾燥地帯にありながら、ダムや貯水槽、水路を組み合わせて都に水を引き、貯めていた高度な水利システムだ。紀元106年にローマ帝国に併合され、その後は交易路の変化などで衰退した。近代になって1812年、スイス人探検家ブルクハルトによって西洋世界に紹介された。
📝 検定ポイント(これだけは覚える)
- 登録年は1985年、所在地はヨルダン、ナバテア人が築いた砂漠のキャラバン交易都市
- 代表建造物はエル・ハズネ(宝物殿)、岩壁を彫り出した王の墓とされる
- 紀元106年にローマ帝国に併合、1812年にブルクハルトが西洋に紹介
雑学メモ
- ペトラの入口には、幅の狭いところで数メートルほどの細長い渓谷(シク)が約1キロメートル続き、その先に突然エル・ハズネの正面が現れる。
- エル・ハズネの「宝物殿」という名は、盗賊やファラオの財宝が隠されていると後世の人々が信じたことに由来し、実際の用途は王の墓とする説が有力。
- ナバテア人は、乾燥地帯にダム・貯水槽・水路を巧みに配置して水を確保しており、砂漠の都を成り立たせた鍵は高度な水利技術にあった。
