🗺️歴史をたどりながら、世界遺産を知る2026年度版
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祈りの原点、海の正倉院、飛鳥の宮

文字のない時代の祈りから、大陸とつながる海の道、そして都の誕生へ

縄文時代(紀元前4000年頃)〜飛鳥時代(7世紀)

日本編の第6章は、時代をさらにさかのぼって「日本文明の黎明」をたどる。まず三内丸山遺跡に代表される北海道・北東北の縄文遺跡群。文字も農耕国家もまだない時代に、人々が1000年以上にわたって定住し、独自の精神文化を育んでいた痕跡を見る。次に沖ノ島。古代のヤマト王権が、朝鮮半島・中国大陸とを結ぶ航海の安全を、島そのものを神として祀ることで祈った、国家的な祭祀の場だ。そして飛鳥・藤原の宮都。6〜7世紀、それまでの日本になかった「恒久的な都」という発想が持ち込まれ、後の平城京・平安京へとつながる都城制度の原点が築かれた。前章で見た古墳が『権力を墓で示す』時代だったのに対し、この章では『権力を都市そのもので示す』時代への移行が見えてくる。

このチャプターで押さえる世界史の軸

  • 文字を持たない縄文時代の、定住と精神文化(土偶・環状列石など)
  • 沖ノ島にみる、大陸との海上交通を守る国家的祭祀(『海の正倉院』)
  • 飛鳥・藤原の宮都―日本で最初の本格的な『都』の誕生

🎧 日本編 第6話:祈りの原点、海の正倉院、飛鳥の宮

想定12分

北海道・北東北の縄文遺跡群

写真:140913 Sannai-Maruyama site Aomori Japan01bs6bs6663highlandCC BY 2.5) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:日本の遺産
2021年登録

北海道・北東北の縄文遺跡群

日本(北海道・青森県・岩手県・秋田県)

約1万年以上続いたとされる縄文時代の暮らしと精神文化を伝える、17の遺跡からなる資産群。代表的な構成資産のひとつ、青森県の三内丸山遺跡では、約5900年前から4200年前まで、1700年もの長期間にわたって定住集落が営まれていたことが分かっている。農耕によらず、狩猟・採集・漁労を基盤としながら、これほど長く定住生活を続けた例は世界的にも珍しい。 縄文時代には文字がなく、国家や王もまだ存在しなかった。しかし人々は、大型の掘立柱建物や環状列石(ストーンサークル)を築き、土偶や土器に独自の文様を刻むなど、豊かな精神文化を育んでいた。この遺産群は、農耕を基盤とする文明が誕生する前の段階で、人類が定住・精神文化・共同体をどのように築き得たかを示す、世界的にも貴重な証拠として評価されている。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は2021年、構成資産は北海道・青森県・岩手県・秋田県にまたがる17遺跡
  • 代表的な構成資産は三内丸山遺跡(青森県)、約1700年続いた定住集落
  • 農耕によらず定住・精神文化を築いた点が評価軸(土偶・環状列石など)

雑学メモ

  • 三内丸山遺跡で見つかった大型掘立柱建物の跡は、直径約1メートルのクリの木の柱が使われており、その規模から祭祀や集会のための施設だったと考えられている。
  • 縄文時代の土偶の多くは、意図的に一部が壊された状態で見つかっており、病気や災いを人形に移して破壊する、身代わりの呪術的な意味があったとする説が有力。
  • 17の構成資産は北海道から青森・岩手・秋田の4道県に分散しており、定住の始まりから終わりまで、縄文時代全体の変遷をたどれるように選ばれている。
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「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

写真:Okinoshima viewing 01Indiana joCC BY-SA 4.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:日本の遺産
2017年登録

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

日本(福岡県)

九州本土から約60キロメートル沖合、玄界灘に浮かぶ孤島・沖ノ島そのものが信仰の対象となっている遺産。4世紀から9世紀にかけて、ヤマト王権は朝鮮半島・中国大陸との外交・交易にあたり、その航海の安全を沖ノ島に祈った。島内からは、当時の大陸との交流を物語る鏡や玉、金製指輪など、約8万点にのぼる奉献品が出土しており、そのすべてが国宝に指定されている。出土品の質と量の豊かさから、沖ノ島は『海の正倉院』とも呼ばれる。 沖ノ島は今も宗像大社の神職以外は上陸が厳しく制限され、島で見聞きしたことを口外してはならないという『不言様(おいわずさま)』の禁忌が現代まで守られている。古代の祭祀遺跡が、発掘調査の対象でありながら同時に生きた信仰の場として今も守られ続けている点は、世界的にも極めて珍しい。この遺産は、沖ノ島単体だけでなく、宗像大社の三宮(沖津宮・中津宮・辺津宮)や関連古墳群を含む資産群として登録されている。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は2017年、所在地は福岡県(沖ノ島・宗像大社三宮・関連古墳群)
  • 4〜9世紀、大陸との交流の安全を祈った国家的祭祀の場、出土品は全て国宝
  • 『海の正倉院』という呼称、今も続く上陸制限などの信仰上の禁忌

雑学メモ

  • 沖ノ島で見つかった奉献品はすべて国宝に指定されており、その数は約8万点にのぼることから『海の正倉院』と呼ばれる。
  • 沖ノ島は現在も女人禁制であり、男性であっても上陸には厳しい制限があるほか、上陸前には海で禊(みそぎ)をする慣習が続いている。
  • 登録資産には、沖ノ島本体のほか、宗像大社辺津宮(本土)や、沖ノ島祭祀を担った氏族の古墳群である新原・奴山古墳群も含まれる。
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飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群

写真:Ishibutai Kofun, fukan-1Saigen JiroCC0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:日本の遺産
2026年登録

飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群

日本(奈良県)

6世紀末から8世紀初め、奈良盆地南部の飛鳥の地に、日本で最初の本格的な政治の中心地が形成された。それまでの日本には、天皇が代替わりするたびに宮を移す『歴代遷宮』の慣習があったが、この時代を境に、律令国家の制度が整えられるとともに、恒久的な『都』を建設するという中国大陸的な発想が導入されていく。その到達点が、日本初の本格的な条坊制(碁盤の目状の都市計画)を持つ都、藤原京だ。 この資産群を象徴するのが石舞台古墳。7世紀初め頃、当時の権力者・蘇我馬子の墓と伝えられる、封土が失われて巨大な花崗岩の石室がむき出しになった古墳で、使われた石の総重量は2300トンにも及ぶとされる。飛鳥の地では、この石舞台古墳のような有力豪族の古墳、宮殿跡、寺院跡が密集しており、大陸から仏教や律令制度を取り入れながら、日本という国家の骨格が形づくられていく過程を、遺跡の重なりとしてたどることができる。2026年に世界遺産として登録された、日本にとって最も新しい世界遺産のひとつ。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 2026年登録、日本で最も新しい世界遺産のひとつ、所在地は奈良県
  • 代表資産は石舞台古墳(蘇我馬子の墓と伝えられる)、藤原京跡など
  • 日本初の本格的な条坊制の都(藤原京)、律令国家形成の過程を示す遺跡群

雑学メモ

  • 石舞台古墳は、封土が失われて石室が露出した特異な姿から、江戸時代にはすでに『石舞台』と呼ばれ観光名所になっていたとされる。
  • 使われている天井石は最大で約77トンとも推定され、当時の土木技術の高さを物語っている。
  • 飛鳥の地は、日本で初めて元号(大化)が使われ、初めて仏教寺院(飛鳥寺)が本格的に建立された場所でもある。
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