🗺️歴史をたどりながら、世界遺産を知る2026年度版
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宗教の拡大

聖地が交差する街から、東南アジアの仏教遺跡、急拡大するイスラームまで

7世紀〜9世紀頃(各宗教の聖地としての成立時期)

前回はギリシャ・ローマという地中海文明の姿を見た。今回は、その後の世界史を大きく動かしていく「宗教の拡大」を、3つの遺跡からたどる。エルサレムでは、ユダヤ教・キリスト教・イスラームという3つの一神教の聖地が、同じ旧市街の中に共存している。仏教は遠くインドから海を越え、ボロブドゥール(現在のインドネシア)の地で、壮大な石造りの曼荼羅として結実した。そしてイスラームは、7世紀にアラビア半島で興ってからわずか数十年で、カイルアンのような北アフリカの地まで急速に拡大した。宗教は、剣や交易路とともに、世界の姿を大きく塗り替えていった。

このチャプターで押さえる世界史の軸

  • 一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム)の聖地が交差するエルサレム
  • 仏教の東南アジアへの伝播(ボロブドゥール)
  • イスラームの急速な拡大(カイルアン)

🎧 第3話:宗教の拡大

想定12分

エルサレム旧市街とその城壁群

写真:Old City of Jerusalem in 2017Yazan JwailesCC BY-SA 4.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
1981年登録

エルサレム旧市街とその城壁群

エルサレム(ヨルダンの推薦により登録)

城壁に囲まれたわずか1平方kmほどの旧市街に、ユダヤ教・キリスト教・イスラームという3つの一神教それぞれの重要な聖地が密集する、世界でも類を見ない場所。ユダヤ教にとっての「嘆きの壁」、キリスト教にとっての「聖墳墓教会」、イスラームにとっての「岩のドーム」と「アル=アクサ・モスク」が、徒歩数分の範囲に並び立っている。 この遺産には、登録のしかたにも特殊な事情がある。エルサレムの帰属をめぐる国際的な係争を背景に、通常のように特定の国が「自国の遺産」として推薦する形が取れず、1981年にヨルダンの推薦によって登録された。しかも登録と同じ年に、地域情勢の不安定さを理由に「危機遺産リスト」にも同時に加えられ、以後ずっとそのままになっている。これは世界遺産の歴史の中でも極めて異例なケースだ。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は1981年、ヨルダンの推薦により登録された特殊な事例
  • 登録と同じ1981年に危機遺産リストにも加えられ、現在も解除されていない
  • ユダヤ教(嘆きの壁)・キリスト教(聖墳墓教会)・イスラーム(岩のドーム、アル=アクサ・モスク)の聖地が共存

雑学メモ

  • 「嘆きの壁」は、紀元70年にローマ帝国によって破壊された第二神殿の外壁の一部とされ、ユダヤ教徒にとって祈りの場となっている。
  • 「岩のドーム」は691年に建てられ、現存するイスラーム建築の中でも最古級とされる。黄金の丸屋根が旧市街のシンボルになっている。
  • エルサレムは、世界遺産でありながら「危機遺産リスト」にも登録された年から一度も解除されていない、数少ない事例のひとつ。
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ボロブドゥール寺院遺跡群

写真:Borobudur, Northwest viewGunawan KartapranataCC BY-SA 3.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
1991年登録

ボロブドゥール寺院遺跡群

インドネシア

8〜9世紀、当時ジャワ島を支配していたシャイレーンドラ朝によって建立された、世界最大級の仏教遺跡。インドで生まれた仏教は、陸路・海路を通じて東南アジアにまで広がり、この地で壮大な石造りの立体曼荼羅として結実した。ボロブドゥールは、基壇の上に段状に積み重なる構造そのものが仏教の宇宙観(欲界・色界・無色界)を表しており、参拝者は下から上へと回廊を巡りながら、悟りへ至る道のりを疑似的に体験する仕組みになっている。 壁面には釈迦の生涯や前世の物語(ジャータカ)を描いた2,600枚以上の浮き彫りが施されており、文字が読めない当時の人々にも仏教の教えを伝える「絵で読む経典」としての役割も果たしていた。仏教が誕生の地インドから遠く離れたこの島で、これほど巨大かつ精緻な形で花開いたこと自体が、宗教が交易路や人の移動とともにいかに遠くまで伝わっていったかを物語っている。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は1991年、所在国はインドネシア
  • 8〜9世紀、シャイレーンドラ朝によって建立
  • 世界最大級の仏教遺跡、構造そのものが仏教の宇宙観を表す

雑学メモ

  • ボロブドゥールは火山噴火や密林に覆われ長らく忘れられた存在だったが、19世紀初頭、当時イギリス領だったジャワの副総督ラッフルズの命令によって再発見・整備された。
  • 壁面の浮き彫りの数は2,600枚以上、仏像の数は500体以上にのぼり、世界最大級の仏教遺跡とされる。
  • 1970年代から80年代にかけて、ユネスコとインドネシア政府による大規模な修復プロジェクトが行われ、現在の姿が保たれている。
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カイルアン

写真:The Minaret of the Great Mosque Okba of Kairouan, TunisiaMonaam Ben FredjCC BY-SA 4.0) via Wikimedia Commons

文化遺産検定区分:世界の文化遺産
1988年登録

カイルアン

チュニジア

670年、アラブの将軍ウクバ・イブン・ナーフィによって建設された都市。イスラームは7世紀初頭にアラビア半島で誕生したが、そのわずか数十年後には北アフリカのこの地にまで到達し、都市ごと築かれるほどの拡大の速さを見せた。カイルアンはメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ「イスラーム第4の聖地」とされることもあり、北アフリカにおけるイスラームの重要拠点として機能した。 中心となる大モスク(ウクバのモスク)は、現存する最古級のモスクのひとつで、その建築様式はその後北アフリカからイベリア半島(現在のスペイン)に至るまでの、西方イスラーム世界のモスク建築のモデルとなった。祈祷ホールには、古代ローマやビザンツ帝国時代の建造物から転用された多数の柱が林立しており、異なる文明の遺産がイスラーム建築の中に取り込まれている点も興味深い。

📝 検定ポイント(これだけは覚える)

  • 登録年は1988年、所在国はチュニジア
  • 670年、ウクバ・イブン・ナーフィによって建設
  • 大モスクは現存最古級のモスクのひとつ、西方イスラーム建築のモデルとなった

雑学メモ

  • 大モスクのミナレット(尖塔)は836年頃に建てられたもので、現存する世界最古のミナレットとされる。
  • 祈祷ホールに並ぶ柱の多くは、古代ローマやビザンツ時代の遺跡から転用されたもので、様式もばらばらな「寄せ集め」になっている。
  • イスラームの一部の伝承では、カイルアンへの7回の巡礼はメッカへの1回の巡礼に匹敵するとされることがある。
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